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教室だより

  • 問わず語り その2

    2022.05.15

    中沢和裁師範学舎の創設者で、私の師匠でもあった中沢〈本名は中路(なかじ)〉信義は、明治36年(1903)現在の千葉県鴨川市小湊の紺屋の長男として出生。

    小湊は日蓮上人の出生地で、誕生寺の門前町として発展。家業の染物屋から着物仕立ての道を選び、三越呉服店専属和裁所の高橋友三郎氏に師事。修行後の昭和11年に満州に渡り、日本の租借地・大連に和裁所を開設。自社ビルも建て手広く経営していたものの終戦。抑留生活を経て昭和24(1949)に帰国。

    日中国交正常化の1972年に大連を再訪。かつての自社ビルは健在で、中国人がそのまま使用しており悔しい思いをしたとの事です。


    その後、世田谷区北沢で和裁所を開き、昭和34年(1959)に現在地の吉祥寺に移転。当時は高度経済成長期であり、「岩戸景気」「いざなぎ景気」で個人消費が大幅に増え、仕立て業も多忙を極めたようです。
    そういう中でも、伝統的技術の伝授の世界ですから当然ですが、師匠の教えは非常に厳しく、気を抜いた仕立てものには『何だこの仕立ては!』とその場でビリビリと縫い目を解かれてしまいます。また、伝統的な技術から外れたような仕立てをする同業者に対しては、歯に衣着せない物言いで、煙たがれたようです。


    そんな恐い存在の師匠でしたが、こんな逸話があります。修行中は全員住み込みでしたので、修行後の夜遅く近くの銭湯に出かけます。ある暑い夜の銭湯帰り、私が師匠に冷たいトマトジュース缶を差し上げた事がありました。ご機嫌がよかったのか『おまえ、なかなか気が利くな!』と一万円札を下さったのです。今から45年ほど前の一万円ですから、驚くやら嬉しいやらでした。今思うと、千円札と間違えて渡したのではないかしら。              

                                                    前野まち子    

                  

     

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