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着物の流れ

  • 日本一の丸帯屋のこと

    2017.03.6

    昭和2年頃、私は日本一の丸帯屋さんに会いました。奥さんの里が丸帯を作る機屋さんだった人で、東京へ来てお屋敷専門の訪問販売を始めた人です。帯の織元ですから、50本も100本も束にして家に積んである。その丸帯を10本位風呂敷に包んで肩にかついで、京都言葉で、素晴しい丸帯だけを売るのです。人絹ではありません。糸錦とか綴とかそんなのばかり 10 本位持って売るわけです。
    その人がお昼になると必ず、今の伊勢丹の前に「市むら」というそば屋があってそこに来る。そこで私が一緒になったわけです。私も丁度その時家内がお産で里に帰っていてチョンガーで二階借りしてた時代ですから、毎日一緒になるのです。いつも顔合わせるから「あんた何の商売?」「きものを縫う商売、仕立屋ですよ」「あゝそう、帯もやれる?」「帯なんかへっちゃらですよ、やりますよ」「おゝそれじゃ」ということになったわけです。この人が日本一の丸帯屋になるのです。
    一緒になってから毎日のように丸帯の仕立物を持って来る。今日は 5 本だ、一寸多いと 10 本だと持ってくるわけです。その内に「中路、どうしても日本一になるには銀座へ出たい、銀座にどこか店探せ」というので、私は銀座中探したけれど良い店がない。現在の歌舞伎座の前、三原僑の角に「大野屋」という足袋屋があります。その隣に住友銀行がある、そこが当時貸ビル四階になっていた。そこへ出て日本一になったわけです。この人は丸帯だけしか売らなかった。「これだけ丸帯が売れるのだから、腹合せや片側帯も売ったら」と云っても「そんなもの売ったら安物だからとそっちを買うだろう、丸帯欲しい人に売るのだからそれで良いのだ」と丸帯を売る。
    綴の丸帯など毎日のように出て来る、仕立で。私は和服の畑ですから、帯は専門家じゃない。小僧時代のなじみが、三越出入りの帯屋にいたので、それを引っぱって来て、半分仕事を手伝って貰ったのです。
    本綴の帯の縫い方は、差し縫いです。綴というのは撚糸ですから房が下っています、3 寸から5 寸位。その房の糸を1 本ずつ針に通して、織ったところに戻していくのです。頭から一寸位入ったところで、安全かみそりの刃で切るのです。これが出来る人は当時東京には居ません。京都にいました。そこで「井筒」の旦那が「中路どうせ専門でやるのだから、京都へ行って来い、俺が費用出すから」というので、煙をはく汽車に乗って京都へ習いに行った。その本綴のやり方が出来たのは当時東京で私しか居なかった。仕事はこうして苦労して覚えるのですね。
    当時、江戸褄の重ねが3円50銭、縫い賃ですね。それが丸帯一本縫うと5円。帝大卒業生が安田銀行へ勤めて、月給27円。一日弟子が丸帯の側をかえし針で縫った側に、私が帯芯を入れて仕上げるのですが、15本縫って60円稼いだわけです。サラリーマンなんてかわいそうだなと思ったものです。それで金が残ったかというと全然残らない。職人ですよね。金が入ると、今夜は天ぷらだなんだとおごってやってチョン。余り利口じゃないけれど、若い時はそれ位の元気があるから仕事も覚えられるし、出来るわけです。
    この様にして帯の発達があったわけです。日本一の丸帯屋、井筒機業店の雄谷末次郎さんの話も帯の物語として記録に残るんじゃないかと思ってお話しました。

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